3月7日に一回目の引越し荷物運び。
一旦横浜に戻り、11日に2回目の荷物を運び、広島に引越し。
直後に震災があり、3回目の荷物が運べなくなりました。
ガソリンの購入が難しくなったためです。
3月後半になり、ようやく供給が間に合うようになりましたが、この頃には診療所の開業準備も大詰めで、
自分で運べる状態ではなくなってしまったため、車両回送ついでに弟に運搬を依頼し、最後の荷物を運んでもらいました。
ハイエース2台分+軽トラ1台分の荷物を運びました。
極力荷物を少なくするために、かなりの物品を処分しました。
しばらくは弾ける状態ではないことや、置き場所の確保などに不安があったので、ピアノも知人に引き取ってもらいました。
お金を出して購入した物・プレゼントでいただいた物・思い入れのある品物。
捨てるのはなかなか難しいものですね。
断捨離などを参考にしなくては・・・
こんな本を読んで見ました。
4月1日に百島診療所を開業し、あわただしい1ヶ月でした。
少しずつ引越しのために梱包したものを開梱し、ようやく普通に暮せる状態になりました。
引越し直後には、診療所の外壁塗装をしました。
経費削減のために、業者さんに依頼するのではなく、島民の方のお手伝いを頂、自分たちで塗装しました。
この日取材に来ていたテレビ局の方も、「やってみたい」ということでお手伝いいただきました。
行きは1週間かけて荒波をこえて行ったのに、帰りは新幹線のぞみで4時間弱。
なんとも不思議な気分。
高校生の頃、自転車で1週間かけて横浜から広島に行き、新幹線に自転車を積んで帰ってきた時のことを思い出しました。
今回の航海の映像を少しずつYOU TUBEにアップしていますので、興味がある方はご覧になってみてください。
くれぐれも酔わないように!
http://www.youtube.com/user/urushi0522
2月7日。
百島に到着し2日目。
久しぶりにゆっくりの目覚め。
島の海岸をゆっくり1時間ほど散歩。
早速船を出して、尾道中央桟橋に着岸。
中国新聞記者の山成君と合流して、尾道の「いわべえ」に広島風お好み焼きを食べに行きました。
中でも尾道風お好み焼きは、現在NHKの朝の連続テレビ小説てっぱんで有名になったお好み焼きで中の具材は、
砂肝と海老天が入っており、なかなかの美味でした。
その後、向島・細島周辺をクルーズし、最後に無人島の加島に上陸、無人島探検を楽しみました。
今は無人島ですが、以前は数人の住民が住んでいたようで、廃墟となった家が数軒ありました。
暮らしていた時の家材などがそのまま残っていて、半壊した家屋や今にも崩れそうな家もありました。
昭和50年ころまでは住人がいたようです。
1週間ぶりにのんびりした1日となりました。
皆様、本当に応援ありがとうございました。おかげさまで無事航海を終了することが出来ました。
今回の航海の記事はこれで終わりになりますが、本当の航海はこれから始まります。
ぜひ一度、百島まで足をお運びください。
絶対後悔はしないと思います。
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